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今回の行程
北京→赤峰(セキホウ)→奈曼(ナイマン)→庫倫(クーロン)→阜新(フシン)→天津→北京 全行程で1800Km走破! |
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2004年アテネオリンピックで沸いた今年、再び中国の大地に帰ってきました。
2000年より始めたこの産地レポートで、すでに3回訪中しており今度で4回目となります。
前回の訪中は2002年、同じ内蒙古でも西部地区の武川県に代表される内蒙古在来種を主に栽培している地域でした。(産地の状況13)
また、その一年前の2001年、今回と同じ東部地区を訪れています。(産地の状況11)
この数年の間に、中国産玄蕎麦事情も変わってきているようで、聞くところによると西部地区では武川よりも西へ行かないと蕎麦の畑が見られないようになったと言いますし、面積も以前ほどは無くなってきていると聞きます。
かといって、生産量が減ったのかと言うとそんなことはありません。
なぜならば、逆に東部地区での生産面積が増えているからです。
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理由の一つとして挙げられるのは蒔いている種の違いです。西部では前記したように在来種を蒔きますが、東部ではマンカン種(現地ではウインサー種という)を蒔くということで、収量が明らかに違う為に農民の方の栽培意欲も違うと言えるようです。
(内蒙古在来種は一株から70〜80粒。マンカン種は160〜180粒程度の実を付けます。)
このような違いからか、今回訪問してこの東部地区の変貌に驚きを隠せません。
以前は、栽培に関してすべてがマンパワーに頼っていたはずのこの中国で、なんとコンバインが存在していたのです。
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昔聞いた話だと、「機械を使うよりも人海戦術で収穫したほうが費用が掛からないから機械は使わない。」と説明された記憶があります。
確かに以前、コンテナにバラ積みするときも人が担いで中で袋を開けていました。
この畑は機械生産に合わせて奥行きが大変深くなっており、栽培方法もTPOにあわせて変えてきていることが伺えます。
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また、以前の姿も残って混在する不思議な世界ですが、これを見るとなぜかほっとします。 |
この秋、自分自身でも手刈の収穫をするので少し練習してみました。
もちろん、この後やり直されたのは言うまでもありません。
2008年に北京へオリンピックがやってきます。都心部ではそれに合わせて急ピッチに開発が進んでおりますが、その余波が産地へも及んでおり、近代化の波が押し寄せていると言えます。
今年はどこの農村も状態がよく、良い蕎麦が取れていました。 |